Spechal thanks!!
〜貴方に、ありがとう〜
今まで生きてきて、恩師と言うべき方やかけがえのない友人など、そう言ったいわば心の支えになった方々は数しれません。
ここでは、そんな方にこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
Y田義塾のM月先生
小学校時代、いじめられっこだったおいらは、当時地元では有名な「危険校」である公立中学に行くのが不安でした。
それに加え、親の進言もあり、いろいろあって私立中学受験にチャレンジすることになりました。
そんなわけで通ったのが某Y田義塾。いろいろな先生に出会いましたが、算数の楽しさを教わったのがこのM先生です。
先生の授業は、とにかく楽しかった印象があります。「楽しかった」というのは、今ではあまり覚えていないので何とも書けませんが、おそらく生徒の心をつかむのがうまかったのでしょう。
小学生相手に、小学生でも何とか解けてしまう大学入試問題をやらせたり、そう言う本質的には中学受験と直接結びつかないこともしていただきました。
無論、甘いだけではなく、厳しいときは厳しい方でしたが。
そして、受験を間近に控えた小学六年の正月、先生から年賀状が来ました。
そこには、「ひたすら 可能性を 信じて 思いきり ジャンプ」と言う文字と、笑顔の絵が描かれていました。
その後の人生で、感動した年賀状というのはありましたが、感動して涙が出たのはこの一通だけです。
先生には申し訳ないことに、一校だけ受験した私立中学は見事に不合格。
結局公立中学に行くことになり、実はその後成績はがんがん下がっていってしまいました(^^;
でも、今でも心から感謝しています。
その後、先生は別の場所の塾に配属になったのか、あまり会うこともありません。
今でもお元気に過ごされていることを願ってやみません。
声優の林原めぐみさん
んー、ここに書くべきなのだろうか!?(爆笑)
実際、別にめぐ姉と知り合いな訳ではありませんし、というかそもそも会話をしたことすらありません。
しかし、おそらく他の大勢の林原ファンと同じように、めぐ姉のいろいろなモノが心の支えになっていた時期がありました。
おいらが「林原めぐみ」という「声優」さんの声を初めて聞いたのは、実は自分でも意識していなかったのですが結構前で、中学時代には確実に、おそらく小学校時代にも聞いていたと思います。
でも、その当時はあくまでキャラクターの声として聞いていました。
初めて「林原めぐみ」という名を知ったのは中学時代。友人と「らんま1/2」の話をしていて、声優さんの話の中で出てきたのが初めてだと思います。でも、当時は全然興味がありませんでした。
時は流れ、初めて彼女の写真を見たのが高校時代。「スレイヤーズ」を見るようになった頃です。
その頃になると、演劇というか、声優というか、そう言う仕事に興味を持ちだし、「なれたら良いなぁ」程度に考えるようになっていたと思います。それに加え、友人にアニメ雑誌購読者がいたため、そう言う話を結構聞くようになり、その延長上で、でした。
初めて「林原めぐみ」という「人物」に出会ったのは、「スレイヤーズ」のTV放送が終了し、ラジオで「スレイヤーズ
EX.」が放送されるようになってから。その頃には、すっかりスレイヤーズにはまっていたおいらは、初めてラジオ番組「MEGU・OMO・町へ出よう」を聞くことにしました。そのDJをやっていたのが、西村さんとめぐ姉だったのです。
初めて聞く「林原めぐみ」としての声は、はじめはリナにしか聞こえなかった、という説もあります(爆笑)。
しかし、その気さくな一面に、「おもしろいねーちゃんだなぁー」と思うようになりました。
そして、友人から「林原めぐみのDJ番組って、他にもあるよ」と教わり、「東京ブギーナイト」を聞くようになるのにはそれほど時間はかかりませんでした。
うちではラジオでは大阪近辺の放送局は聴けませんが、おいらはアマチュア無線をやっていたので、ややしばらくしてから「ハートフルステーション」も聞くようになり、どんどんはまっていった訳です(^^;
ラジオを聴いて、そしてCDを買っていくうちに、めぐ姉のパワフルな一面を知るようになり、「無い物ねだり」でしょうか、そんな一面にあこがれを感じていったこともありました。
おいらはいじめ経験者であり、そのトラウマが未だに取れないでいます。成人式など、全然楽しくなかったです。はっきり言って見せ物になった感じでした。(実際後ろの方でいろいろ言われてましたし)
そんなとき、彼女の歌を聴いて、ラジオを聴くことで、何とか笑顔を取り戻していった感じがあります。
大学に入り、関東地方外に通学するようになったためか(笑)、最近はいやなことがあっても気にしなくなりました。
数年前だったらもやもやしていたような状況でも、笑って過ごせるようになった気がします。
そんなわけで、今ではめぐ姉のCDに「頼る」ことは少なくなってきましたが、おかげで、「メッセージ」としてだけではなく、単純に「音楽」としても聞けるようになりました。
でも、それも彼女のメッセージを聞いて、「そう言う考え方もあるな」と学習していったたまものだと思います。
こんな事書いてるのが見つかったらなんか言われそうですが(笑)、おいらには彼女のような生き方は出来ません。が、自分なりの人生を生きていくための一つの道しるべになっているのは事実だと思います。
彼女に出会って、人生観という物も、少し変わってきたように感じます。
今後ともの彼女のご活躍を願ってやみません。
Aをはじめとする小学校からの友人達
そんなわけで、おいらは小学校から、そんなにひどいレベルではありませんでしたが、ずっといじめられ続けてきました。
いわゆる「いじめられっ子タイプ」だったのですね(^^;
友人も少なく、辛い思いをすることも多々ありました。
そんな中、今でも良き友人であるAは、気さくに接してくれました。
いじめられるようになる前からの友人ですが、周りの態度が変わっても、変わらず接してくれました。
無論、友人が彼一人であったわけではありません。
他にも今でも交流のある友人は存在します。
Aをここに書くのには理由があります。
中学の時、一度、彼と大喧嘩をしたことがあります。
きっかけは些細なことだったと思いますが、お互いに、一切口を利かなくなってしまいました。
中学生というのは若い物で、謝ろうと電話をしても、いざ電話口になるとまた喧嘩をしてしまうような有様でした。
しかし、半年後、彼との中は元に戻り、それまでと同じように接してくれました。
なんだか、とてもうれしかったのを覚えています。
今ではお互い大学が違うので滅多に顔を合わせることはないのですが、
別の友人から「この前Aにあったよ」という話を聞いたり、年賀状をやりとりしたりしています。
また今度、顔を合わせたいものです(^^;
そして、今まで出会ってきた友人知人、諸先生方、勿論両親に、この場を借りてお礼申し上げます。
そして、みなさんの甲斐もなく、こんなしょーもない人間になってしまってすいません(爆笑)。
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